損な役回りで悩んでいる人は結構多いのかもしれません。
この記事を書くまでに2回同じテーマを違う視点で書いています。
今回も類似の悩みテーマとして、よく気づく人が損をすることについて取り上げてみようと思います。
職場で改善した方がいいと思うことの話をすることがありますが、結局動くのは私だけ。
周りは口だけで面倒なことはスルーなのに、私は改善しないと気が済まない性格です。
本当はやらなくてもいいと分かっているのに、気づいてしまうと放置できず、頼まれるとそのまま引き受けてしまいます。
後から『やらなければよかった』と思うのに、同じことを繰り返してしまい、都合よく使われているように感じてしまいます。
私自身はそれで悩んだことはありませんが、それに似たポジションの人は見たことがあります。
外から見てると、今までの行動の蓄積から明らかに依頼するときの心理的ハードルが他の人より低いと感じます。
頼んでる方も実は、なんで引き受けてくれたかを無意識に感じ取るものです。
「やらないといけないことをやる人なんだな」と周りがなんとなく理解したら、自分がどう思ってるかに関係なく雑用が回ってきやすくなります。
仕事を持ってくる周りが悪いと思っていてもいいですが、初めはそうではなかったはずです。
当たり前ですが、自分の行動は他者にも見られています。
探偵は状況や残った証拠から、推理していくんですよね。
部分的な手がかりから、人の姿が浮き彫りになっていくのです。
あなたが損な役回りをやめられないのは、性格が優しいからとか、責任感が強いからという理由付けで納得しているかもしれません。
しかしそれは上辺を取り繕うための言葉であり、本当は違うということを、周りの方が無意識に勘付いていることもあります。
納得行かないかもしれませんが、周りが100%悪いということはないです。
ですが、自分と周りが持っている問題意識の強さに差があることが、よく気づく人が損する役回りに陥るひとつの要因にはなることはあります。
大前提として、同じ景色でも見ている人間によって解釈は違います。
これも当たり前と思うかもしれませんが、本当の意味で分かるのは難しいです。
これぐらい分かるだろうと、誰でもあるとき・ある瞬間思ってしまうんです。
これを言っている私も、気をつけていても思ってしまうことです。
この記事を読んでる今も、「一人に役割を押し付けるなーー!!」と言いたいから損な役回りという悩みを持っているんだろうと思います。
例えば、廊下に紙くずが落ちているのを見ても、大抵は自分以外の誰かが捨てると思うだけです。
ですが、掃除する人・よく気づく人は拾うという違いです。
他の例を出すと、日本人が海外で行われたスポーツ観戦か何かの帰りに、周りに落ちていたゴミを拾って帰っていった話をどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
国内ではテキトウでも、外国へ旅行に行った日本人は落ちているゴミになにかせずにはいられなくなる不思議があります。
日本にいれば周りは日本人だらけですが、外国はよその国の目があります。
人はどういう状況に置かれているのかが行動の差になって現れます。
ゴミの例で言えば、国外よりは国内の方が自分に甘くなりがちなのかもしれませんね。
甘い環境にいれば、大体の人は自分に甘くなります。そしてその場にいる人も環境の一部です。
どういう人がいるか以外に、イージーな環境がイージーな人を増やしてしまうこともあるということです。
同じ景色でも解釈が変わるという現象については人の認知構造が関係しています。読み進めると分かってくるかもしれません。
「振り回されっぱなし」の毎日に、終止符を打つために
多くの悩みの背景には、周りに振り回される自分への不快感やどうにもならなさがあります。
私たちが生活のどこかで周りに振り回されたり、生きづらさを感じるのは、自分の人生のハンドルをいつの間にか誰かに握らせるのが当たり前になるからです。
「世間体」や「空気」といった見えないルールに縛り付けられ、いつの間にか自分の本音で世界を見ることを忘れてしまったような気がしませんか?
私はその状態を「認知の檻」と呼んでいます。
認知の檻の中にいる限り、どれだけ必死に頑張っても、他人のルールで踊らされ、人生を振り回される消耗戦からは抜け出せません。義務教育のように社会や誰かから教わる機会も平等にはありません。
以下のロードマップでは、こういった窮屈な日常の「裏側の仕組み」を暴き、自分の人生を自分の手に取り戻すための「思考のヒント」を整理しています。
並んでいる記事の中に、あなたの今の不快感を解き明かす「答えの断片」が必ず隠されているはずです。
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