「努力が続かない」
「やろうと思っても行動できない」
「頑張れない自分が嫌になる」
こうした状態が続くと、「自分は努力できない人間だ」と感じてしまうことがあります。
一度そう思ってしまうと、何かに挑戦しようとしても、「どうせ続かない」「また途中でやめる」と考えてしまい、さらに行動しづらくなることがあります。
努力できない人の悩みの例
昔から「これだけは本気でやり遂げた」と言える経験が一つもありません。
自分なりに動いているつもりでも、少しでも苦しくなるとすぐに投げ出してしまいます。
周りの人が当たり前に努力を継続できているのを見ると、自分とは根本的に何かが違う気がして怖くなります。
結局、私はどこか人間として欠陥があるのではないか、本当は切実に悩んでいないから動けないだけではないかと、自責のループから抜け出せません。
結局、いつも口だけで何も変えられない自分が一番嫌いです。
どうすれば「頑張れる側」に行けるのか、悩み続けて時間だけが過ぎていく感覚に、ただただ不安を感じています。
「努力が足りない」という説明では解決しない
こうした悩みに対しては
- 意志が弱い
- 努力が足りない
- 甘えている
といった説明がされることが多いです。
しかし、実際にはやろうとしてできない・続かないという状態に悩んでいる人が多いです。
精神論だけで解決するのであれば、ここまで多くの人が悩むことはありません。
努力できない人は「努力できない自分」を前提にしている
原因のひとつとして、努力できないと感じている人の多くは、「自分は努力できない人間だ」という前提を持っています。
当たり前と思うかもしれませんが、自己イメージはその時々の選択に影響を及ぼします。
悪い自己イメージを持っていると、努力を続ける選択は自分にはふさわしくないと無意識に思うようになります。そのため、自分では望んでなくても、結果として努力しない選択を積み重ねてしまうことがあります。
この状態では、せっかく何かを始めても「きっと自分は続けられない」という前提で行動することになります。
そして、少しでも苦しくなったら「やっぱり自分には無理だ」と判断しやすくなり、苦手意識がさらに「努力できない人」という認識を生みます。
それが最終的に自己イメージとして固定されていきます。
このようにして、「できないという前提 → 行動の中断 → やはりできないという結論」というループが繰り返されます。
努力できない人は「努力の基準」が高すぎる
多くの場合、努力とは
- 長期間続ける
- 結果が出る
- 人に誇れる
といったものとしてイメージされています。
そのため
- 少しやった
- 途中まで続いた
- 一時的に頑張った
といった行動は、あまり努力としてカウントしないことが多いです。
結果として「自分は何もやっていない」という認識になりやすくなります。
ですが、例えば、最近絵を描き始めてまだ上手く描けないとします。
一定の画力を目指して練習する過程がある時点で、その分の努力はしてると思っていいのではないでしょうか。
それに興味が移りやすい人もいれば、ひとつのことを集中して突き詰めるのが得意な人もいます。
興味の幅が狭いことで悩む人もいることを考えると、少ししかやらなくても一旦何かを始められるという違い含めて、努力の形には幅があると考えることができます。
努力できない人は「動機が外部に依存している」ことがある
そもそも、努力しなければいけないという前提があって初めて「努力ができない」という悩みが出てきます。
そこで一回考えてほしいのですが、なぜ努力が必要になったのでしょうか?
努力が続くかどうかはその動機も重要な要素として関係します。
努力する意味やモチベーションの源泉が外部に依存していると、周りの反応や周りがどう思うかという理由で自分が努力できるか・できないかが左右されることになります。
逆に努力する意味、目標の意味が自分の内にある人は、自分の行動の意味が周りにあまり依存してません。
そのため、周りの反応が気にはなっても、行動がブレにくいと考えられます。
また、努力が続く人は、多くの場合「努力しよう」と意識してやってはいないと思います。
必ずしも強い意志や熱量があるわけではなく、やるべきことをこなしているだけの場合もあります。
その姿を外から見た様子を「努力している」と言うことがあります。
どうやって努力するか以前に、何のために努力しているかという要素も自分の行動に影響を与えることがあります。
努力が続かないのは「アクセルとブレーキが同時にかかる」から
「努力が大事だ」と心がけるのは良いことです。
一般的な価値観でも、努力できない人よりもできる人の方が評価が高くなります。
しかし、努力する理由が、無意識に自分ではない誰かの目を気にしたものになっていると、努力のモチベーションやエネルギーは外部の要因次第であったりなかったりするものになります。
それに、自分が「やるぞ」とアクセルを踏んでも、周りがどう思うか気にしていたら無意識にブレーキをかける回数が増えてしまいます。
行動が途切れそうなとき、モチベーションが切れそうなとき、少し立ち止まることで、何が理由で心理的なブレーキを無意識にかけてしまうのかを自分で問い直すことができます。
その理由がわかったら、努力をやめずに続けられるかもしれません。
努力できない状態から抜けるための考え方と対処法
努力できない状態から抜けるためには、一般的にイメージされるような「努力できる人になろうとする」よりも、行動のハードルを下げることが重要です。
例えば
- 途中でやめてもいい前提で始める
- 短い単位で区切る
- ただ続けることよりも再開することを重視する
といったように、継続の条件を緩めることで行動しやすくなります。
また、「できたかどうか」ではなく「どこまでやったか」で評価することで、ゼロか百かの思考を避けることができます。
このように現象の解釈方法や認知のパターンを見直すことで、努力ができない要因を探ることができます。
認知の仕組みについてさらに知りたい場合はこちらの記事でも整理しています。
類似の悩みとしてハマれるもの・熱中できるものがないというテーマの記事もあります。
努力できないという状態は固定されたものではなく、どのような前提や条件で行動しているかによって変わるものです。
「振り回されっぱなし」の毎日に、終止符を打つために
多くの悩みの背景には、周りに振り回される自分への不快感やどうにもならなさがあります。
私たちが生活のどこかで周りに振り回されたり、生きづらさを感じるのは、自分の人生のハンドルをいつの間にか誰かに握らせるのが当たり前になるからです。
「世間体」や「空気」といった見えないルールに縛り付けられ、いつの間にか自分の本音で世界を見ることを忘れてしまったような気がしませんか?
私はその状態を「認知の檻」と呼んでいます。
認知の檻の中にいる限り、どれだけ必死に頑張っても、他人のルールで踊らされ、人生を振り回される消耗戦からは抜け出せません。義務教育のように社会や誰かから教わる機会も平等にはありません。
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