周りと同じように就活せずに、自分の道を選んだのは正しかったのでしょうか?
大学を中退するかどうか、あるいは周囲と同じように就職活動を継続するかどうかで迷っていた時期がありました。
当時の私を支配していたのは「一度でもレールを外れたら、もう二度と元の場所には戻れない」という、根拠はないけど圧倒的な確信です。
図書館の窓からリクルートスーツを着て歩いていく同級生たちを眺めていると、彼らは正解のルートを選んだ人たちに思えて仕方がありませんでした。
迷い・立ち止まっている自分は、社会から落ちこぼれて淘汰されてしまう側ではないかという不安を常に抱えていました。
周りが敷いてくれた、自分も安心できる既存のレールから外れるのが私は怖かったのです。
世間一般で言われる「新卒」や「ストレートでの卒業」という切符を失うことは、単なるキャリア選択のミスではなく、社会への参加資格そのものを剥奪されることのように思えました。
親からは「将来どうするつもりだ」と問われ、友人からは「大変だね」と表面的な共感を示されるたびに、言葉にできない隔たりを感じました。
レールから外れる選択肢をイメージするたび、社会からこぼれて追いやられてしまうような孤立感もありました。
失敗することへの怖さというよりは、自分だけが「普通」という共通言語を失い、誰とも話が通じなくなることに強い恐怖を持っていたのだと、今は感じます。
自分の道を選ぶことで、好きなライフスタイルというものを自分の努力で徐々に実現していけるようになりました(かなり大変でした)。
ですが、昔から気の合う友人とは違う人生を選び、両親の望みとは違う生活(多分)をしていることに、やや引っかかりを感じるときがあります。
「学校がつまらないけど、普通は行かないといけない」
「自分は人と違うけど、普通でいないといけない」
「このまま大学をやめたら人生が終わる気がする」
「30歳を過ぎても結婚していない自分は普通じゃないのでは」
「安定した会社を辞めたいが、世間からどう見られるかが怖い」
入学、進学、受験、就職。
恋愛、結婚、出産、子育て。
キャリア形成、スキルアップ、出世、定年。
人生には通常、進むべき既存のレールや標準ルートのようなものが存在するように感じられます。
そしてそこから外れそうになると、人は強い不安や焦り、恐怖、罪悪感を覚えることがあります。
なぜ「普通」から外れることは、ここまで怖く感じられるのでしょうか。
なぜ「普通」でいないと不安になるのか
「普通」という言葉はよく考えればどういう状態を指すか曖昧ですが、心理的には人の行動動機になるぐらい強い存在感があります。
普通であることは多くの場合、
- わかりやすくて安定している
- みんなと一緒で承認されやすい
- 周りから否定されにくい
という安心と結びついています。
反対に、外れることは
- 未知である
- 周りから理解されにくい
- 普通でないという意味で否定的に見られることがある
という不安感と結びつきます。
普通でありたいのにそこから外れていると感じたとき、人は所属による心理的安心感と個人の自由との対立で葛藤します。
- レールに乗る=没個性的だが、安心・所属・承認が得られる
- レールを外れる=個性を出せるが、自由な選択に対する責任・孤立リスクがある
という選択肢に挟まれて、多くの人はできれば、この両方をできるだけ安心できる方法で同時に実現することはできないかと考えます。
大抵の場合、難しいと感じることが多く、その葛藤が恐怖として表れます。
なぜレールから外れると怖くなるのか
レールから外れる不安を抱える人に多い共通点とは
- 「みんな」「世間」「普通」が基準・比較対象になっている
- 自分と周囲の期待や望みが衝突している(混同している)
といったことです。
レールから外れることへの不安の多くは、他者との比較から生まれます。
- 普通のみんなは新卒で就職し、会社員として働いている
- みんなは適齢期になると普通、結婚する
- みんなは安定した選択をして普通の生活している
- (普通でいれば)みんなと共感できるし、してもらえる
- (普通でいれば)みんなに理解してもらえる
「普通のみんな」という集合が基準になり、そこからの距離で自己評価が揺れます。
(普通のことができないと、自己イメージが世間の普通から遠くなり、自己評価が低くなる人が多いです)
さらに、その不安や自己評価の揺さぶりを掘り下げたときに見えてくるのは
- 自分の内側の価値基準
- 外部(世間・親・周囲など)から期待されている基準
のズレです。
このズレが大きいほど、
- 罪悪感
- 劣等感
- 孤立への不安感
- ストレスや自己肯定感の低下
- 理解してくれない周囲への不満
が強くなります。
つまり、不安の根源はレールを外れる選択自体よりも、それによって世間とズレてしまう自分にあります。
重要なのは、「普通」という基準が絶対的だから苦しいのではなく、自分に対する評価基準が他者の基準に強く依存している状態だから心が揺れやすいという点です。
恐れているのはレールから外れる行為そのものよりも、「周囲とのズレによって評価や帰属を失うかもしれない」「後ろ指をさされる存在になるかもしれない」という想像です。
怖さの正体は「失敗」よりも「孤立」
不安になる理由のひとつとして、「失敗」や「レールから外れること」ことをきっかけにして、帰属を失うことへの恐れが根底にあります。
- 失敗して落ちぶれたと思われたくない
- 親の期待を裏切りたくない
- 友人と話が合わなくなる
- 共感してくれる人がいなくなる
- 上手く行かなくて社会からはみ出てしまう
- やったはいいけど立ち行かなくなって孤立する
人は社会的動物と言われることもあり、社会を築き、集団の中で生きる存在です。
そのため「普通であること」=無意識にここにいていい、という資格のように扱われることがあります。
だからこそ、外れそうになると
- 見捨てられるのではないか
- 仲間でいられなくなるのではないか
- どうやって生きていくのか
という感覚が生まれます。
「普通」から外れることは本当に危険なのか
普通というレールから外れることを一段上の視点、脳の認知構造レベルで整理すると、
- レール=結果・将来の予測をしやすい
- レール外=結果・将来の予測をしにくい
という違いがあります。
人は予測しやすいことに安心感を持ちやすい傾向があります。
不確実性の強い選択に対しては、何が起きるかわからないので本能的に警戒し、未知のことには大きなリスクがあるように感じます。
ですが、すべてのレールが安全とは限らないし、すべてのレール外が危険とも限らないという考え方もできます。
たしかに多くの人と同じ選択をすると同じような結果は得られそうな気がしますが、人はそれぞれ生まれも育ちも違いますし、得意なスキルも異なります。
その個性の違いを無視して「普通=安全」「外れる=危険」という考えに固定されて不安にとらわれると、自分にとってよりよい選択肢を見失う可能性があります。
自分にあった道を選ぶのに必要なことは
- 本当に失うものは何か
- 実際のリスクは具体的にどれくらいか
- 最高・最悪の結果の具体化(不確実性を小さくする)
- 想像上の孤立と現実の孤立は同じか
を切り分けて考える視点です。
普通ではないという不安は性格ではなく認知構造の問題
SNSで人の生活が覗きやすくなった現代では、レールの外にいる人の意見を知る機会があります。
「気にしすぎだ」「自分の人生なのだから自由にすればいい」という人もいますが、それでもレールから外れることが未知の選択になる人にとっては、その言葉だけで怖さが消えるわけではありません。
そして恐怖を感じるのは性格や意志が弱いからではなく、
- 周囲と比較する意識
- 承認と帰属をどう扱うか
- 不確実性に対する不安を漠然と感じていて、具体的な対処まで意識が向かない
という認知の前提があるためです。
もし今「普通から外れるのが怖い」と感じているなら、そういった自分の内面や認知の仕方に注目してみると道が拓けることもあるかもしれません。
「普通」に近づくことで安心を得ようとするのは、人として自然な反応です。
しかし、その基準や普通から外れることへの恐怖がどこから来ているのかを自分で整理しない限り、漠然とした不安は繰り返し現れます。
他者基準はどのように内面化されるのか。
私たちはどの段階で世間一般と自分の「ズレ」を脅威として感じるのか。
こうした認知の仕組みについては、以下の記事でさらに整理しています。
その他のありがちな悩みの例
周囲の結婚や出産ラッシュ・普通の人生から外れる独身の自分
普通の人生から外れていく自分の人生を肯定できません。
30歳を過ぎた頃から、友人たちのSNSが結婚や出産の報告で埋め尽くされるようになりました。
集まれば話題は自然と家庭や子供の教育に移り、独身のまま自分の時間を過ごしている私は、輪の中にいるのに空気のような、「いなくていいんじゃないか・・・」というような感覚があります。
私もいい歳なので、親からは「普通の幸せを掴んでほしい」と言われています。
親が言っている普通の幸せというのは、要するに、結婚して子どもをつくって孫の顔を見せてほしいというような、よくあるイメージだと思います。
その言葉に悪意がないと分かっているからこそ、期待に応えられない自分に少しずつ罪悪感が積み重なっていきました。
「普通」とされる時期に、多くの人が通る門をくぐらない選択を取ろうとする自分に違和感があります。
誰に責められているわけでもありませんが、自分という存在が社会の普通、常識、当たり前、標準規格から少しずつズレていっているような気がします。社会から用済みになっていくというのは言いすぎかもしれませんが、そういう端に追いやられるような感覚がありました。
幸せの形は人それぞれだと言い聞かせても、普通という大きな枠組みから外れることは考えるだけでも心細くて不安になります。
自由に生きられる人もいますが、私には手が届かないようなものに感じます。
会社勤めという普通の働き方から独立することへの不安
普通の会社員をやめて一人で独立するのが不安です。
新卒から勤めた会社を辞めてフリーランスとして独立を考え始めたとき、自由への期待よりも「何者でもなくなること」への恐怖を強く感じてしまいました。
正社員という社会的立場や求人票に並ぶ「社会保険完備」「賞与あり」といった言葉は、自分にとって単なる条件ではなく、この日本という社会の一員であると証明される資格証のように見えていたのです。
周囲の友人が役職に就き、着実にキャリアの階段を上がる話を聞くたびに、自分だけがその列から外れて、何も頼ることのできない不確実な道に行こうとしてることに強い不安を感じました。
それは仕事内容への不安というより、これまで疑わずに信じてきた「正社員」というレールを降りたとき、世間という大きな繋がりから切り離され、二度と戻れなくなるのではないかという孤立への怯えだったのかもしれません。
この不安を抱えたままやめてしまって本当にいいのかまだ踏ん切りがつきません。
