シュタイナー式・精神十二宮で分かる性格診断

異世界探訪

本記事は精神世界というマイナーなジャンルを読みやすくするために、エンタメ的な意味で性格診断という形式でルドルフ・シュタイナーの思想の一部を紹介・解説する記事です。
性格診断については、あくまでもシュタイナーの思想をもとにした内容であり、何かの真実を断定するものではありません。
都合の良いところだけ真に受けたり、他の人ってどんな世界観で生きてるのか知ったりするツールとしてご活用ください。

精神十二宮とは、人間の精神が観測する傾向が高い12タイプの世界観のことです。

精神世界の権威でもあるルドルフ・シュタイナーが分類したもので、本記事は同氏著作「星と人間」の内容を参考にして執筆しています。

12の世界観には7つの気分が存在し、さらに3つのトーンがあるとも記されています。(詳細は後述)

「星と人間」によれば、真理を探求する意思がある人間は後述する12タイプのうち、いずれかの世界観に傾く傾向があるとしています。

そして、それら12の世界観は並んで共存しており、また併存が可能であること・必要であることが書籍内では述べられています。

12の世界観については、簡単に言えば十人十色だよねということですが、科学のような今の時代でほぼ絶対視されている世界観も存在します。
シュタイナーの思想では、その科学という価値観も12の世界観と7つの気分の組み合わせのうちの一つとして数えられます。

また、個人的な意向としては、シュタイナーの話はある種の読解力が求められるため、読みやすさのために科学的な視点や分かりやすい例なども挙げて、その独特な思想を性格診断という形に変えて解説します。

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人間が認識する傾向が強い12タイプの世界観(性格・主義)

シュタイナーの思想では、自分なりの物事の通りや正しさ・真理を見極めようとする意思がある人間は、主に以下12タイプ(精神十二宮)のいずれかの世界観に傾きやすいとしています。

どの世界観が優れている・一番正しいというものはありませんし、書籍内でそういう話はありません。

書籍内の説明をさらに分かりやすように言い換えてるので、もしかしたら若干ニュアンスが違うかもしれません。

各12タイプの世界観を円形に配置した図
『星と人間』P175を参考に写した図
  • 観念論(理念や理想が世界のあらゆるプロセスの中に存在し、理念ある営みのみに意味がある)
    • 例:ヘーゲル、エックハルト
  • 心魂論(理念は物事と紐づいており、世界には心魂があると信じている)
    • 例:ショーペンハウアー、フィヒテ
  • 神霊主義(個または集団の精神が世界にあり、それら存在は世で活動的である)
  • 唯霊論(物質は幻であり、物理的な実体が持つ精神が表れたものである)
  • 単子論(人はそれぞれ内面に最小単位の実体であるモナドを有し、現実はその写し鏡である)
    • 例:ロベルト・ハマーリング
  • 力本説(外的現実は未解明の不可視な力によって動いている)
  • 実在論(世界が物質/精神的であれ、自分が視認するものだけは疑う余地がなく認知できる)
  • 現象論(物事を本物と断定できる絶対的尺度はなく、ただ世界は現れるものである)
  • 感覚論(考えるよりも感覚とか印象で判断する)
  • 唯物論(この世には物質しかない)
    • 例:現代科学者
  • 数理論(世界は機械的で数学的な形式で表すことができる)
  • 合理主義(感情よりも外的に示せる理念や哲学のみを一般に広めるべき)

上記は人が正しいと思い込む傾向がある12タイプの主な世界観であり、人はそれらのどれかを信じています。

そして、どれだけ自分の世界観が一番正しいと思っていても、人から見たらそうではありません。

マクロの世界を説明できる古典物理学をベースにした科学であっても、ミクロの世界では量子という理屈が異なる世界観が登場するように、異なる見方というのは常に存在するものです。

また、哲学者は一つの世界観に統一して物事を見る傾向がありますが、一般的には複数の世界観をバイキングみたいにつまみ食いしてることが多いです。

そのため、人によってはひとつの世界観だけを貫いているのではなく、複数の世界観に当てはまると感じる人もいるかもしれません。

世界観を彩る7つの気分(ニュアンス・雰囲気)

シュタイナーの思想において、人は世界観を7種類いずれかの気分で体験しているとしています。

『星と人間』P184を参考に写した図

オカルト主義(普通の感覚/認識は幻ゆえ、異なる手段で物事を探求すべき)

シュタイナーの思想の尖りを感じる分類なんですが、自分の認識力ではなく外部の認識手段を求める主義をオカルトと呼んでいます。

例えば、精密機器を用いて物質の内部を確かめた結果のみを良しとする場合、世界観のうち唯物論者でありオカルト主義の気分を持っていると言えます。

身近な例では、自分の判断や認識力は無力であり意味はないという消極的な姿勢があり、何らかの権威やプロ、専門家を盲信してしまう気分もオカルト主義的な気分と言えるかもしれません。

例を踏まえると、外部の機械や判断に頼ることすべてがオカルトになってしまうのか?という疑問が生じると思います。

例えば、熱っぽいとき自分で額に手を当てたときの体感以外に、体温計で熱を測ることもオカルト扱いなのかという疑念が出てくると思います。

シュタイナーは恐らくそこまで極端なことは言っておらず

  • 自分の感覚で感じることに本質はない・無力で無意味であるという前提があって
  • 何らかの外部から得られる物差しだけしか判断基準として信用するに値しないと信じること

をオカルトと読んでいるのだと思います。
簡単に言えば、自分の考えや認識力を放棄して盲信する対象を探す在り方のことを指していると私は思います。

先見論(私の知覚は不完全だが、物事を認識するとき本質も近づいてくる)

物事の背後には人間の知覚によって到達できない本質がある、と考える気分のことを先見論と呼びます。
(信じる人を先見論者と呼んでいます)

例えば、色を認識したときに色自体に本質はなく、色の認識に至った背景に人間には到達できない真理があると考える気分のことです。

一般的な感覚や疑問では、目にしたそれは何色と呼ばれており、人にどのような心理作用を与えるかといったことが注目されやすいです。

しかし、先見論で注目するのは認識を支える構造であり、その根源がどこか人間に知り得ない領域にあると信じています。

神秘主義(心や意思を静め、体の内側での内的探求と神の働きを感受すべし)

キーワードとしては一体感を重要視する気分なのかなと思います。

自分のエゴや意思を静めて、何らかの教えや神に帰依する・内的探求によって一体感を得ようとするのが神秘主義です。

書籍内では、世界観が唯物論者で、かつ神秘主義者であることが両立する例が書かれているのが面白いです。

例では、物質の食べ物を摂取して、その効能を内的に感じたり、異なる食品の内的な作用を比較したりするのに向いていると書かれていました。
(粉末の青汁Aとゼリー状に加工された青汁Bの効果の微妙な違いを感じるみたいな)

経験論(物事の関連を知らず、自分に向かってくる体験のみをただ受け取る)

外界からやってくる出来事とその体験をただ受け取る気分が経験論です。
この気分も分かりやすい方だと思います。

後述するグノーシス主義や主意主義、論理主義は物事の背後にあるものについて思考を巡らせますが、経験論者はしません。

唯霊論、唯物論も同じく、内的に提供されるもの、外的に提供されるものをただ受け取るという世界観のため、背後に特別な働きがあるというふうには考えないと書籍内で語られています。

主意主義(世界には意志の力が働いている)

主意主義については、Wikipediaによれば以下のように説明されています。

主意主義(しゅいしゅぎ、英: voluntarism)とは、人間の精神(魂)中で、意志の働きを(知性・理性や感情よりも)重視する哲学・神学・心理学・文学上の立場のこと。知性・理性の働きを重視する主知主義(英: intellectualism)や、感情の働きを重視する主情主義(英: emotionalism)と対置される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/主意主義

意志が一番重要だよ、という価値観のようです。

一番よく分からなかった主義なんですが、ショーペンハウアーの思想を読むと何となく分かってきました。

ショーペンハウアーの思想についてはWikipediaによると

ショーペンハウアーの思想は、主著『意志と表象としての世界』に描かれている。彼の哲学は、イマヌエル・カントの直系を自認しながらも、世界を現象としての「表象」(Vorstellung)とみなし、その根底には理性や目的を持たない「意志」[30](Wille zum Leben)が働いていると説いた。この意志の概念こそが、彼の提示する厭世観的世界観の核心をなしている。[31]

https://ja.wikipedia.org/wiki/アルトゥル・ショーペンハウアー#思想・影響

現実とは私の表象であり、世界の本質は自己目的のない盲目的な意志であるとしています。

つまり、外界にある物理的な対象はただの現象で、実際に自分が認識しているものは自分が経験してきた記憶から内的に生じるイメージの像である。
そして世界の本質は生への意志(Wille zum Leben)である、というのが(ショーペンハウアーの思想における)主意主義です。

ショーペンハウアーによれば、人間の人生では、それぞれの個の生存意志が顕れるが、それは絶えず他の意志によって阻まれるため、人は常に苦痛と退屈の間で揺れ動くとしています。

苦痛からの一時的な救済方法としては、現象を判断せずに徹底した客観視、ありのままを一旦受け入れる美的な観照という状態が挙げられています。

完全に苦痛を乗り越えるには、生存意志を一度完全に否定する必要があるとも説いています。
大雑把に言えば、仏教的な悟りや諦めを行うことで苦痛から解放され、救済の道が得られるとしています。

なお、ショーペンハウアーは心魂論者に分類されていました。

アルトゥル・ショーペンハウアー – Wikipedia

ロベルト・ハマーリング(詩人)も単子論かつ主意主義として挙げられていましたが、情報が少なかったので今回は省略します。

論理主義(全ての物事・概念・思考を論理的に繋ぎ、保持すべき)

7つの気分のうち、論理主義はイメージしやすいですね。
論理主義とは、外的世界を感情的なものではなく、思考や概念、理念的なもので整理したい気分のことです。

先述の世界観の話で例として挙げたヘーゲルは、観念論でかつ論理主義者として書籍内でも挙げられています。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル – Wikipedia

ヘーゲル哲学体系
客観的観念論の体系によると、世界の基礎は自然および人間の出現前に存在していた、神秘的な「絶対理念」(イデア)であった。「絶対理念」はその本性上、活動的原理であるが、実体はないので思惟・自己認識においてのみ現れることができる。しかし、この「絶対理念」はプラトンが考えていたのとは異なって内的に矛盾を備えている。そのために事物の本体はヘラクレイトス流の永遠流転の法則に従って変化して、その対立物に移行する。

哲学は「絶対者」(唯一まことの神)の純粋思惟・認識にほかならぬとしたうえで,その「絶対者」の思惟の弁証法的自己展開を追求して壮大な哲学体系をつくりあげた。「絶対者」のつくりだす理念は即自/対自/即自かつ対自という三段階を経て発展し,まず即自的な論理としての運動をなしてのち,対自的に自然として外化し,ここから自らに帰って即かつ対自的に認識を完成させる。これに応じて彼の哲学大系は三つの部分に分かれる。論理学,自然哲学,精神哲学に大別され、各々がさらに三段階の発展をなして、理性と現実との一致という観点に到達するとされた[109][110]。「絶対者」の本質たる概念の弁証法的運動を明らかにした点は、ドイツ古典哲学の完成に留まらず、聖アウグスティヌス、スピノザに匹敵するほどの思想史上不朽の功績と言うことができる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル#ヘーゲル哲学体系

ヘーゲルは世界の基礎として、絶対的理念を前提にした観念論の体系を論理主義的に展開した哲学者です。

絶対的理念とは、類似する概念としてプラトンのイデア(完全で不変の本質)が挙げられますが、ヘーゲルが提唱した絶対的理念は陰陽のように矛盾を備えたものです。

万物は流転する、諸行無常の法則に従って対立する概念に移行したのち、一つ上の次元の真理へと統合し止揚する弁証法を提唱しました。

他にはヨハン・ゴットリープ・フィヒテが心魂論でかつ論理主義者の例として挙げられていました。

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ – Wikipedia

彼の人間観は、人間は生来、利己的であって、それと同時に生まれてくる子どもたちの中に道義心が存在する、ただそれが覚醒していないだけ。道義心を育んでいけば、人の利己心を克服できるという。道義心は、尊敬の対象を求める衝動を持っているが、それは自分が尊敬する対象によって尊重されたい、つもり父親に依って、自制と克己の心を植え付けられる必要がある。それによりこの衝動は、相互の尊敬というかたちで人間精神の真の紐帯を作っていくことになる[2]

https://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツ国民に告ぐ

グノーシス(心魂の認識力により統合的に物事の体験を受け取る)

シュタイナーの言うグノーシス主義が何なのか掴めなかったので、当ブログでは「心魂の認識力を通じて統合的な体験をする」としました。

シュタイナーによれば、「心魂の認識力を通して、世界の事物を知ろうとする人」をグノーシス主義としています。

つまりどういうことかというと、「主観や外部の物差しどちらかから答えを導くのではなく、全体の状況や現実の構造を踏まえて自分で答えを見つけられる気分」のことであると、当ブログでは考えます。

シュタイナーの言いたいこととは一致しないかもしれませんが、心魂の認識力では分かりにくいので仕方がありません。

書籍内の注釈によれば

グノーシス主義 一世紀にローマ辺境・地中海世界に興り、二世紀・三世紀に最盛期を迎えた宗教思想。グノーシスとは、人間を救済する霊智を意味する。この世は、星界も含めて、悪であるとし、本来の自己を認識することによって、魂は卑しい肉体を捨て去って神へと帰還すると説く

と書いてありました。
注釈は歴史や宗教的文脈におけるグノーシス主義の意味を載せたものだと思われます。

シュタイナー的には、現代で忘れつつある霊智に目覚めて本来の自己を認識する重要性を訴えており、少なくとも「星と人間」では神への帰依は説いてないです。

世界観は常に3つのトーンのいずれかで現れる

シュタイナーの思想では、世界観は12タイプ、彩りとしての気分は7種類ときて、さらに以下の3つのトーンが挙げられています。

世界観は、常に3つのうちのどれかのトーンを持って現れるとしています。

  • 有神論(例:一神教)
  • 直観主義(例:自分の内面との関係で世界を捉える)
  • 自然主義(例:太陽から始まり、自然の営みをただ見る態度)

自然主義の説明があまりはっきりしないですが、書籍を読む限りでは、有神論者は太陽を神のように考えるのに対して、自然主義者は太陽が地上に何を生み出しているかに注目しているというふうに考えられます。

最も陳腐な世界観として擬人論(自分の経験のみに依存した態度)もあるのですが、補足的なニュアンスで解説されており、基本は上記の3トーンなのかなと思います。

どれが優れているというわけではなく、すべてを共鳴(言い方が気に入らなければ「同列の関係」に)して捉えることで、ある真理・ひとつの理解に到達すると本書で述べられています。

また、これまでのものを全て足すと
12(世界観)+7(気分)=19+3(トーン)+1(補足トーン)=23の世界観が存在することが示されています。

本記事では省略しましたが、シュタイナーの思想の背景には、黄道十二宮や占星術の文脈で語られる惑星の影響も考慮されています。(占星術自体は象徴における数字の背景を土台にしています)

このように、シュタイナーの思想では、人間の精神が描き得るあらゆる世界観は、23タイプある世界観の組み合わせと占星術の文脈における惑星の影響によって表せるとしています。

ただし世界観に優劣はなく、いずれも併存が可能なものであり、シュタイナーの提唱する精神科学は人間の異なる世界観を調停する役割を持てるということが示されています。

12タイプと7つの気分と3つのトーンのうち、自分の性格や主義と一致する世界観があったでしょうか。
同時に、いくつもの異なる世界観が存在することも感じられたと思います。

もちろん、シュタイナーの思想がなくとも、人は十人十色の世界で生きていることは何となく分かると思います。
人それぞれの正しさがある以上、一つの物の見方に拘泥するのは争いのもとであり、あまり良い考えではないでしょう。

しかし、それで終わると見方が対立したままで終わってしまうので、シュタイナーが本書で示すように、異なる世界観をいくつも想像して、相手の立場にも立てるようになることが対立を乗り越える鍵となるという話で終わりたいと思います。

主な参考書籍:シュタイナー著「星と人間」

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