「なぜかずっと生きづらい」
特定の出来事があるわけではないのに、日常のどこかで息苦しさを感じることがあります。
例えば、
- 周囲の人が普通にできていることが自分には難しい
- 何をしても「自分はダメだ」という感覚が消えない
- 将来のことを考えると、ただ不安になる
- 生きること自体が重く感じる
このような感覚を抱えながら「この生きづらさの正体は何なのか」と考え続けている人もいるでしょう。
よくある悩みの例
実際、相談サイトなどを見ると、生きづらさについて悩む声が見られます。内容を見ていくと、いくつか似たパターンがあることに気づきます。
(※以下は、よく見られる相談内容を再構成した例です)
本当の自分を出せない生きづらさ(正体が知りたい)
20代後半の男性です。昔から、自分が自分であることにどこか居心地の悪さを感じながら生きてきました。
周りの価値観に合わせて振る舞っていますが、本当の自分とはどこかズレている感覚があります。周囲は自然に役割をこなしているのに、自分だけが正解のわからない劇を演じているようで、いつも妙な疲れが残ります。
この生きづらさの正体が何なのか考え続けていますが、言葉にしようとすると霧がかかったように整理できません。
本記事では深く扱いませんが、周りに合わせてどうコミュニケーションするかではなく、コミュニケーションというパターンや仕組みを研究するという視点で考えてみてもいいかもしれません。
過去の経験が原因の生きづらさ(なぜ今も苦しいのか)
子供の頃、家庭を生き抜くために身につけた「空気を読みすぎる癖」が、大人になっても自動で発動して自分を縛る鎖になっています。
原因が過去にあると分かっても、染み付いた反応をどうにもできない自分に絶望してしまいます。
昔はもっと純粋に楽しめていたはずなのに、今はすべてが虚無に感じられます。どうすればこの過去から続く息苦しさの正体を知ることができるのでしょうか。
自分が無意識に、自動的に起こる反応については、本記事では扱いませんが、別の記事の自己認識・認知パターンでまとめています。
テーマが少しズレますが、本能的な無意識の選択についてはこちらの記事でも整理しています。
努力できない停滞感の生きづらさ(なぜ自分だけ動けないのか)
毎日仕事と家の往復で、将来に希望も持てず、ただ周囲との比較や格差ばかりが目に入ります。
肝心なところで努力から逃げてしまう「真面目系クズ」な自分に、猛烈な自己嫌悪を感じて消えたくなります。
周りは目的を持って動いているのに、自分だけが取り残されているような停滞感があります。特別な不幸があるわけではないのに、なぜこんなに生きるのがしんどいのか分かりません。
このように、生きづらいという悩みを持っている人は少なくありません。
どこで生きづらいと感じるかにも個人差があると思いますが、本記事では自己否定や性格、環境に原因を求めるパターンを扱います。
生きづらいと感じる人の共通したパターン
生きづらさについて語られる内容を見ていくと、いくつか共通したパターンがあります。
強い自己否定
生きづらさを自分の努力不足や性格の問題だと考え、強い自己嫌悪を抱えているケースが多く見られます。
「自分はダメ人間だ」「消えたくなる」と考えている一方で、同時に、「なぜこうなってしまうのか」という疑問も強く持っています。
単純に自分を責めているだけではなく、その状態から抜け出すために原因や理由を探そうとしていることも多いです。
原因を過去や環境に求める
生きづらさの理由としてよく挙げられるのは
- 子供の頃の経験
- 家庭環境
- 人間関係のトラブル
- 性格や発達の特性
といった過去や環境の要素です。
実際、人の性格や考え方などの傾向は、幼少期の経験や育った環境による影響を受けている部分があるというふうに考えられています。
小さい頃は普通に楽しくても、成長するにつれて
- 他人と比較する機会が増える
- 将来への不安が増える
- 社会のルールや期待に触れる
といった変化が起こります。その結果、大人になるにつれて生きづらさが増していく経験をする人もいます。
難しいのは、原因はそれだと分かっても「じゃあそこからどうすればいいの」というふうにもなりやすいことです。
「原因が過去にあるんだったら、どうして今も苦しいのかわからない」
「初めから真っ直ぐ育たなかったのなら、そこで終わりなのか?」
という壁が見えて、「自分はうまく生きていけないのではないか」と不安や違和感を抱えるケースもあります。
なぜ生きづらいのか理由が分からない背景
まず一口に生きづらいと言っても、何に生きづらさを感じているかは人それぞれ違います。
また、物理的な障害と違って主観的・感覚的なものなので、人に聞いたり説明しても問題自体を理解してもらえないこともあります。
もうひとつの理由としては、自分がおかしいと思っていても、家族や近しい人は別にそれが当たり前でおかしくないと思っているケースもあります。
その場合、本人が困っていたり、世間とズレがあったりしてもおかしくないと判断されることもあります。
さらに、目に見えない+感覚的なものは違和感を持っている自分でも言語化が難しいというのも理由に挙げられると思います。
そういった背景があるため、ただ漠然と「生きづらい」と思う状況だけが残ってしまう、というのが、生きづらさが分かりにくいとされる理由ではないかと個人的な経験では思います。
もし相談するとしたら、生きづらさの中身にもよりますが主観的・感覚的なものの場合、まず医療機関を頼ります。
行けない・それでも分からない場合は、人間のメタ的な部分まで踏み込んでようやく何が起きてるか理解できる可能性があるので、本シリーズ「教えてChatGPT&格差の構造」を隅々まで読むか
脳科学や人の認知の仕組みに詳しい人・書籍など、何でもいいのでネットで探すとなにかヒントが得られるかもしれません。
生きづらさの正体は「出来事」だけでは説明できない
生きづらさは、特定の出来事や環境だけで説明できるものではない可能性があります。
もちろん、それらが影響しているケースもあります。
しかし、同じような環境だとしても生きづらさを感じる部分は人それぞれ異なります。
例えば同じ社会で生活していても、
- 全体的に社会に適応できないという強い苦しさを感じる人
- 自分の身の回りに関する日常生活はできても、コミュニケーションや仕事に難がある
- 人間関係には溶け込めてるけど内心ギリギリな人
といったケースが考えられます。
この違いを見ると、生きづらさは個別の出来事や環境だけで決められるものではない可能性も見えてきます。
生きづらさは「パターン処理できる情報量の差」という可能性
どういう場面で生きづらさを感じるかにもよりますが、社会で共有されている暗黙のルールやパターンを理解する情報量の差による生きづらさの場合を書きます。
人は日常生活の多くを、経験から作られたパターンで処理しています。
例えば、
- 会話では天気の話が無難
- 共通点があると会話が広がりやすい
- 設定アイコンは歯車のマーク
といったように、生活の中には多くの「暗黙のパターン」が存在しています。
これらのパターンを知らない場合、普通は何でもない状況でも判断や行動に迷う場面が増えます。
もし社会の中で必要とされるパターンの情報量が不足していると、日常の出来事が一つ一つ「初めて解く問題」のようになり、強い疲労や不安につながることもあります。
このように考えると、生きづらさは単純な性格の問題ではなく、環境の中で扱える情報量やパターンの差によって生まれている可能性もあります。
身の回りのことはすべて問題集と考えると、生きづらさの捉え方もまた変わってくるかもしれません。
生きづらさの正体は、このような無意識に積もった「解釈の枠組み」の影響を強く受けていることもあります。
そういった枠組みについて疑う視点については、以下の記事でも整理しています。
「振り回されっぱなし」の毎日に、終止符を打つために
人は周りの影響から逃れられないため、周りにいる人と似たような人生を送ることになります。
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