原神のフォンテーヌ編をリアルタイム考察しながら遊んだらこうなった

原神

全体的に考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(クリア後に見ることをおすすめします)

プレイゲーム:原神(シナリオタイムライン:フォンテーヌ)

ふるる

フォンテーヌの国境らしいです

私この前、違うところから入ったっぽい。

ふるる

人間の脳は物語形式で現実を認識する構造になっているから、歌劇も推理も同じ現実を異なる話の繋ぎ方で語っているに過ぎないかもしれません

正義を描くにはあらゆる不正義が必要で、不正義とは生まれながらに背負っている人間の業がうんぬんかんぬん。

ふるる

人生は劇に例えられることもあるし、劇には台本がある

とりあえず人気者のフリーナ様がかわいいということは分かりました。

プレイゲーム:原神(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第1幕中盤~)

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(現在序盤のあたりですが、一応クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

壁炉の家って知ってる前提で話進んでるけど、誰かの伝説任務とかで出たのかな

ふるる

あと冗談のつもりで言うけど、人間の体って大部分が水分で出来てるよね

人の水分で海の水位に影響が出るとは思えないけど。それから原始胎海の水って何でできてるんだろう

ふるる

どっかの任務で聞いた気がするんだけど、結局七神は国の統治を人間に任せようとしてるんだっけ

事件を歌劇のように楽しめるのは、結局一番肝心なところは諭示裁定カーディナルの判断に人々が依存してるからで、今までの感じなら物事の真実は諭示裁定カーディナルと審判劇に任せないで自分で考えよう的な話になるのかな。

プレイゲーム:原神(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第2幕~第3幕序盤)

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(一応クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

フォンテーヌ編 盛 り 上 が っ て ま い り ま し た

ふるる

タルタリヤがタルタリヤしてたところ、Youtube君のおすすめサムネで若干ネタバレしてたけど普通に激アツだった

久々に見たけど何にも変わってない感じいいな

ふるる

諭示裁定カーディナルも神様も完璧じゃないから皆自分の頭で考えよう!閉廷!オチがワンチャンある

ふるる

タルタリヤを告発したやつが分かってないけど、そこ含めて今度はタルタリヤの代理人するのかなあ


ふるる

怖いお茶会を見た後、依頼、そしてこの顔である

そしてこの顔である

ていうか普通にモデルの造り良すぎる

プレイゲーム:原神(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第3幕前編)

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(一応クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

今更だけど事件を娯楽のひとつのように楽しむフォンテーヌの国民性はやっぱりどうかしてる(単純に野次馬か他人事の人が多いですね)

諭示裁定カーディナルがどういう仕組みで動いているかはまだ不明だけど、その諭示機は民衆の正義への信仰を束ねてると4章2幕の最後でヌヴィレットが言ってた。

諭示裁定カーディナルは、民衆が思い描いて信じる正義を反映する機械だとしたら、今までの審判劇を見る限りでは、多分ヌヴィレットが事件の経緯を整理していたから、事件の解釈と正義がどこにあるべきかは民衆とヌヴィレットの間では常に一致していたものと考えられます。

ただ、今回はファデュイの執行官(タルタリヤ)が罪を問われました。民衆が思うファデュイの執行官の印象は悪いため、その偏見が諭示裁定カーディナルに反映された可能性があります。ヌヴィレットの正義と民衆の正義が初めてここでズレたことを意味しているのではないでしょうか。

ヌヴィレットの思う正義は公正であることが関係していると思うけど、民衆が思う正義はもっと単純で悪人が裁かれることかも。
(そうだとしたら結局フォンテーヌの民は、ヌヴィレットの推理と単純で分かりやすい正義を信仰しており、自分の頭では正義とは何かをほぼ何も考えてなかったか、公正とは異なる正義の実現を本音では望んでいたということになると思います。)

ふるる

あとは原始胎海の水とフォンテーヌ人って何らかの理由で互換性があるから水になってしまうとかかな…

タルタリヤというキャラの造形を今一度振り返るの会

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(キャラプロフィール、フォンテーヌ第3幕若干ネタバレ含む)

ふるる

タルタリヤのプロフとボイスみたら世界征服が目標の人なのすっかり忘れてた

タルタリヤの言う世界征服とは、つまりテイワットの謎をすべて暴くことを意味しているとしよう。これは旅人の旅で実際にやってることと結構似てるような気がする。
旅人は自分の兄妹を探す旅だけど、結局カーンルイアをはじめとするテイワットの謎を知ることにも繋がってるし、目的は違ってもやることは実は結構似てるのではないかと思う。だから腐れ縁なのか

あとメロピデ要塞には決闘場みたいなのがあって、旅人が意外とやり過ぎる性格かもしれないことがそれとなく出てたから、根っこは結構似てるような感じかもしれません。
(ちなみにプレステ版では主人公は蛍で始めましたがPC版では空で遊んでいます。性別でリオセスリの台詞が変わるかは知りません)

ポケモンで言い換えたら、やってる仕事はロケット団だけどポジション的にはライバルみたいな変な人物。
ゲームプレイヤーとして強さを求める姿勢は分かるけど、世界征服って夢大きすぎんか

プレイゲーム:原神(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第3幕後編)

ふるる

フォンタ販売員のモノマネ似てて草

ふるる

飽きないようにモノマネネタ入れてるんかなあ…

声優という概念があるからモノマネしてるの面白いんよな

フリーナの謎な点(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第4幕)

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(スメールのクリア直後とフォンテーヌ最序盤の話があります。一応フォンテーヌ全編クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

スメールのクリア時点でキャラバン宿駅にいる旅人の近くにフォンテーヌの使いの者がいたけど、スメールの次に必ずフォンテーヌに来るって事前に分かるものなのか

旅人についての噂が広がるのが早いのか、毎回動向を調べてるのか。


水元素に関連するから同質性には強いけど、異質なものと対峙する外交的な場面にはフリーナ様弱いのかなと思ったんだけど、この人正義の国の神様なんだよね。
すべての物事を(多分)公正に見れるヌッさんは、誰が相手でも良くも悪くも自分の調子でいけるんだろうけど。

シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第4幕途中

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(一応フォンテーヌ全編クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

速報:ヌヴィレットは水龍だった

アプデからいまさらやないかーい(というかこれもYoutube君でチラ見した)

ふるる

封印のシーンめっちゃよかったな…

ふるる

ヌッさんはフリーナにレスバの仕方を特訓して教えた方が公務面で何かと楽なんじゃないか(私にも教えてくれ)

水神って、他国の神とちょっと違うっぽいし、もしかしたら無理なのかもしれないけど

原始胎海の水の謎(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第4幕途中)

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(一応フォンテーヌ全編クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

原始胎海の水とフォンテーヌ人が互換性があって、原始胎海の水は先代水神の秘密と関係がありますと

フリーナは水神でヌッさんが厳密に何なのかは私は知らないけど、フォンテーヌ人、水神、ヌッさんの全員が、純粋に原始胎海の水を基礎にしてできている…?
(ちなみにアルケーって、フォンテーヌ出身のキャラをザッと見た感じだと、性別でエネルギーの種類が決まってるように見える。ヌッさんのアルケーがプネウマで、フリーナはウーシア)

原始胎海の水は、厳密にはテイワットの生命を育んだ水だけど、原始胎海の水に溶けるのはフォンテーヌ人だけ。
人間って普段食べてるものでできてると言うし、リーユェの土地で育ったものを食べてる人は体がリーユェの素材で出来てるだろうし、モンド人は詩と酒でできているだろう(憶測)
原始胎海の水の問題を片付けるのも実は常によそ者だったりして。

シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第4幕終盤~第5幕最序盤

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(一応フォンテーヌ全編クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

実況チラ見した程度の知識で喋るんだけど、ホラゲ「サイレン」の海送り・海還りをファンタジーにしたらフォンテーヌになるんじゃないのか

タルタリヤの謎(シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第4幕最後)

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(タルタリヤプロフ情報含む。一応フォンテーヌ全編クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

リオセスリとクロリンデとヌッさんの活躍がすごすぎてタルタリヤ探しに要塞来たの忘れてました

ふるる

ヌッさんとの会話で原始胎海の水に入ってしまったのではという話になったタルタリヤさん

4幕の最後で水中に浮かびながら大きなクジラを泳いでいるのをタルタリヤが見るシーンがありました。
クジラというのは集合無意識のシンボルとして理解されることが多い生物です。原始胎海の水っていうのはやっぱりそういうものなのかもしれません。

あと普通の人間は原始胎海の水には入れないとヌッさんが言ってました。

ふるる

でも彼は命ノ星座が空鯨で夢が世界征服というスケールのでかい人物でしたね

どういう理由で普通は入れないのかは明らかになってませんが、私の予想ではタルタリヤは世界征服が目標というキャラ設定があるので、太古から生命を育んできた原始胎海の水の力には負けない土台があるのではないかと思いました。

ふるる

世界征服というキャラ設定をちゃんと原始胎海の水で料理するMihoyoのセンスに一票

真相はこれからだけど、そういうただの設定だけでゲームの話には出てこないと勝手に思ってた。

シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章第5幕途中

考察と顕在的・潜在的なネタバレに注意(一応フォンテーヌ全編クリア後に見ることをおすすめします)

ふるる

ホントにヌッさんと口論始まって草

ふるる

今までの国って悪いやつが大体はっきりしてたけど、水の国だけ予言の実現とその真相を隠す水神がどっちかといえば悪役みたいになってて、今までの展開とはちょっと違うね

ふるる

ナヴィアを同調圧力という正義で審判するところ、かなり水の国っぽさを感じた

裁判とか審判ってあんまりウェットな感じしないけど、あんな描写の仕方されると水の国ってそういう意味なんだって思うね。

シナリオタイムライン:フォンテーヌにある問題の話が完結編

完全なネタバレに注意(フォンテーヌ全編クリア後に閲覧してください)

ふるる

最後の展開に引き込まれて一気に進めてしまいました

実際のところ、Youtube君がおすすめしてくるサムネのネタバレ程度でホヨバ作品の鑑賞体験が損なわれることはないですね。

ふるる

ていうか目先の問題片付いたから夜中だったし勝手に完結ってことにしたけど、これでまだ続いたら草生える

ふるる

500年も神だと信仰されていたなら、それはどうであれもう神と呼んで差し支えないだろう

ふるる

終盤の展開と結末は全く予想できなかったけど、ホヨバ味を感じて良かったと思う

展開の裏切り方、読めなさって作品ごとに独自の色があるなって思う。フロムゲーからは常にフロム臭がするように。

ふるる

あとタルタリヤが平常運転すぎる(あいついつも変わんねえな)

あとクジラと出てきて退場したあと、誰もタルタリヤ心配してないのちょっと面白かった。

ふるる

タルタリヤの世界征服ってテイワットのスケールだと思ってたけど、まさか相手にするのが呑星の鯨ほどのスケールがあるとは思わなかったです

しかも原始胎海の力と同化した状態の鯨ですよね?

ふるる

タルタリヤ…(考えてるスケールが)お前おかしいよ…

まあそういう意味があるのかはさておいて(あと実質誰も心の底から心配してる人がいないのも面白いし、それがキャラとして別に問題ないのもおもしれーポイント)

ふるる

あと推理に関しては、フリーナにかかってる呪いの存在まで見抜いたお父様が一番鋭かったですね

ヌッさんも呪いの気配については確か気づいてたね。

ふるる

でもあれだね。まだ全部見てないから結局神の心がどこにあったのかはっきりしてないや(召使は神の心を探してたよね)


ふるる

神の心は召使が回収済みと。重要な情報が死ぬほど出てきたな

ふるる

ヌッさんの立ち位置ってテイワットの中でかなり重要そうだね

—シナリオタイムライン:フォンテーヌ・4章フォンテーヌ完結編以降

ふるる

これ以上何があるんですか?私にどうしろっていうんですか?

ふるる

双子の話のあとにナタに行くことになるかもだけど、このまま終わったら操作キャラのフリーナって一体どういう扱いになるんだ

あるとしたら水神絡みでもう一幕あったりなかったり、なかったわ。

ふるる

ストーリーっていうのは、大体とびきり良い奴ほど先に死ぬよね

ホヨバ・原神における水の国の解釈の深さについて

完全なネタバレに注意(フォンテーヌ全編クリア後に閲覧してください)

ふるる

深そう

ふるる

水の国は正義の国だけど、その裏のテーマとして同質性や一体感が隠れている

人間になりたいという純水精霊の願いを初代水神が叶えるところからフォンテーヌという国の歴史が始まった。
→「(全体から一個体として)存在するという正義」
2代目水神の魔神フォカロルスは、純水精霊が人間になった姿であるフォンテーヌ人を「存続」させることを、500年に及ぶ自己犠牲を選んでまで実行した。
→「(フォンテーヌ人という個体を)存続させるという正義」
(すべてが一体となる水、純水精霊ではなく、一個体として生まれて人間という歌劇を演じ続けたいという願い)

他方で、フォンテーヌの最高審判官であり水龍でもあるヌヴィレットの正義とは、物事を公正に扱うことである。
フィナーレでは、神の願いを理解するのは(ヌヴィレットでも)無理なこと、「神の願いとはそもそも不思議なものなのかもしれない」「君や私、あの人が浴びる雨に果たして何の違いがあるのか」といったことを言っていた。
台詞の意味は、願いを叶えたとして初代水神エゲリアや2代目水神フォルカロスは、そうした自己犠牲をしてまで願いを叶える必要があったのか、ということを言いたいのではないだろうか。
公正という正義を重視するヌヴィレットからすれば、水神の身に降りかかったことは公正なものとは思えてないように取れる台詞である。
(実際ストーリー中で何度か描写されてるけど、ヌッさんからするとフォカロルスの最後は言葉にならないような出来事だったんだと思う)

また、お父様ことファデュイ執行官の召使は隙がなくて理知的な人物。特に父とは、理性の代名詞にはなっても感情の代名詞になることはない。
自分の立場についての台詞だが、召使は「それは未来の多種多様な可能性によって決まる。私は、誰かに長いスパンでの「約束」を言い渡されたとしても信頼しないし、自らもそんな約束はしない。一時に留まるのみの真摯さは、本当の真摯さとは言えないからね。」と言っている。明言はしていないが水神に対するコメントも含まれていると考えられる。
最後まで責任を持って遂行できそうにないような約束をしたり計画を立てたりすることは、自分や相手に対しての真摯さに欠ける行為である。また、長期の(達成できる可能性が不明で無責任な)約束を誰かに持ちかけられたとしても信じる価値がない、する意味がないから自分もそんな約束をしないというお父様(召使)の価値観を表す台詞である。
水の性質を母性と解釈するなら、召使の台詞は父性視点からの苦言とも取れる。

各キャラクターの反応から、フォカロルスの行為は理性によるものでもないし、結果的に身に降りかかったことは公正とも言えないことを意味している。
ただ、水神からすれば同類の純水精霊の願いこそが正義であり、それを叶えることが本望だったのではないだろうか。(そもそも願う行為そのものが理性で紐解けるようなものではないと思う)
また、水の国を描くにあたって公正と理性は切り離せない要素だったことも窺えます。

(もし願いが空の雲だとしたら、いつか雨になって大地に降り注ぐのだろう)我々は同じ雨を浴びたはずなのに、どうしてこうも結末が違うのか?
ふるる

水の一体感の表現として宗教とか信仰をストーリーに絡めるのはありがちだと思うけど、原神の水の国って審判・裁判・正義をメインに持ってきてるのが個人的には面白い

純水精霊がフォンテーヌ人になれたのは信仰心も関係してると思うから、宗教や信仰は要素として皆無ではないとは思います。
(もしかしたら、信仰をメインに持ってくるとその信仰に共感できるかどうかという読み手の都合が関係してくるので、理性で物事を判断する正義と審判をメインに持ってきたのかも)

「500年間、神格のない人間(水神の理想)が水神を演じ続けること」
「500年の準備期間を使って、神格のフォカロルスは水神の神座ごと自分自身を破壊するという自己犠牲をすること(天理という運命を欺く)」
水神の願いを叶える代償がこの2つだったけど、魔神フォカロルスからすれば本望が叶うのだから500年の自己犠牲自体がなんてことなくて、そう思えるところが神様なのかもしれないですね。

ふるる

水神を演じていた水神が思う理想の人間(フリーナ)って、ある意味水神の正真正銘のセカンドライフかも。水の本性としては同質性があれば満足できるから、神格としての自分は生きてなくてもいいのかもね

ふるる

鍾離も一人で3000年間(だっけ)リーユェを統治してたんだから、方向性が違うだけで似たようなものという見方もできる(モラの神だし契約の神だし武神だしetcで事情は水神と全く違うけど)

ふるる

公正という正義は偏りがない判断を重視するけど、自己犠牲は、誰かのために・何かの目的を達成するために自分が損を被る正義。
カーレスとフォカロルスの件は、ヌヴィレットの公正という正義をある意味台無しにする正義ではあるけど、娘を守ること、フォンテーヌ人を存続することに繋がってるから、尊重すべき価値観の一つであることに間違いはない

ふるる

サンプルが少ないけど、ゼルダの伝説だと水に関する生物としてゾーラ族がいるし、水をテーマにすると人ならざるものが出てくることが多いかもね(幽霊は水回りに出るし)

ふるる

神格フォカロルスは、ある目的のために人格のフリーナに人性に抗う劇をさせたけど、それはそもそもやろうと思ってできるようなものではないし、神ならまだしも人間がするには相当難しいことを自分の人格に要求しているように思う(フリーナも人間離れしたところがある)

フリーナの話は伝説任務とかしたらまた新しいことが分かるかな

強火の父性属性がやたら多い
・召使(お父様)
・タルタリヤ(世界征服が目標だが、家族思い(暴君を目指しているわけではない)。父性と母性のどちらかに分類するとしたら、男性性の強い望みがあるので父性。家内安全を願う母性はあっても、世界征服を目指す母性はない)
・ヌヴィレット(あらゆる物事を法の下に公正に扱う視点は父性に分類される)

※ここで言う父性・母性は元型的なイメージや象徴的な表現におけるものを指す。
現実でありがちな様々な父親像のことではない。