はじめに
「自己は固定されたものではなく、動的モデルである」という脳科学的な視点をご存じでしょうか。
私たちは毎日、外の世界とのやりとりを通じて少しずつ自分自身を更新しています。
逆に言えば、「変わらないこと」にはリスクがあります。
変わることを面倒に感じたり、失敗を避けてしまうことは自然な反応ですが、その結果として新しい経験や可能性を失うかもしれません。
この文章では、脳科学の理論をやさしく解説しながら、「じゃあ自分は明日から何ができるの?」というところまでを一緒に考えていきます。
新しい知識を読んだだけで終わりにせず、毎日の小さな行動に落とし込む“型”までぜひ知ってください。形だけでもまずは実践してみましょう。やめるか続けるかはそれから判断しても遅くはありません。
自己は動的モデルである
「自己は固定されたものではなく、常に外界との相互作用の中で変わり続ける動的なモデルである」という考え方があります。
これは、認知科学や神経科学の分野で提唱されてきた予測符号化理論やベイズ脳仮説とも関係しています。
脳は、常に外界を予測し、その予測と実際の結果のズレ(予測誤差)を使って、自分自身や世界のモデルを更新し続けていると考えられており、脳科学の分野では、脳を理解するひとつの枠組みとなっています。
つまり、「私」と呼べる存在は、そういう変えられない性格・意志の塊というよりも、「予測→ズレ→更新」という循環の中で少しずつ形を変えていくモデルのように考えられるということです。
もちろん、こうした理論にはまだ検証途中の部分や議論もあり、今後の研究で更新される可能性も十分にあります。
ですが、私達は日常生活の中で無意識に「きっとこうなるだろう」と結果を予測しているはずです。自分が立てた予測と現実で起きた結果の違いを感じたり、その結果を踏まえて行動を調整・改善・反省したりしているという点は、ほとんどの人が経験していることではないでしょうか。
このように「自己は動的モデルである」という視点を持つと、変わることや失敗することを恐れるよりも、「脳はそもそも変わり続けるものなんだ」と、少し軽やかに捉え直すことができるかもしれません。
予測誤差とは何か
脳は日々、未来を予測しています。
その予測と現実がずれたときに生じるのが「予測誤差」です。
たとえば、「朝の通勤電車は空いているはず」と思っていたら混んでいた、というのも予測誤差の一例です。
人はそういう誤差と直面したときに、「次はもっと早く家を出よう」などと考えて脳のモデルを更新しようとします。
誤差を「失敗」や「恥ずかしいこと」として嫌うより、「成長の種」として捉えるほうが、変化に柔軟になれます。
予測誤差に気づくこと自体が、行動や考え方を変えるきっかけになるのです。
変化しないことのリスクと機会損失
失敗を恐れ、予測誤差をできるだけ減らそうとすると、行動が固定化しやすくなります。
「こうすれば失敗しない」という安全な道を選び続けることで、脳のモデルはどんどん硬くなっていきます。
それによって失われるのは、新しい挑戦と得るはずだった経験、自分の人生を描くチャンスです。
固定された自己ではなく、動的モデルとしての自己を前提にすれば、「変化を織り込む」生き方が自然になります。
変わることは「勇気」や「やる気」の問題ではなく、脳の仕組みに沿った当然の流れとして捉えられるのです。
実践ステップ:動的モデルという科学的な枠組みを日常生活で活用するための方法
ここからは、日常生活で試せる小さな実践ステップを紹介します。
実践ステップといえば大抵の場合、いきなり新しいことを取り入れなければならないというプレッシャーがついてきます。継続できるかどうかはほとんど読み手の意志力とやる気次第です。
しかし、この記事では、明日から完璧に実践する必要はないという前提で書きます。
実践の型を知って、まずは形から日常生活に落とし込むことを重視しているからです。
私たちは新しい知識を得ても、ほとんどの場合、明日からすぐに変われません。人間が明日からすぐ変われる生き物なら「やる気が出ない」とか「明日から本気出す」という台詞は存在しません。
新しい知識を得たときに重要なところは、
・新しい知識を得たときに、変化の第一歩をどこへ置けばいいのかを明確にすること(型を見つける)
・型を試すことで、少しずつ意味を理解し、自分のものにしていくこと
ではないでしょうか。
次に書く実践の手順は、実践の型となるものです。順番はありますがどこから始めても良いです。
あえて型を破って、その結果がどうだったかを経験してみるのも良いでしょう。
Step 1:予測誤差に気づき、振り返る
実践のために特別な挑戦をする必要はありません。生活をしていれば、期待外れのことや思い通りにならないことはいくつか出てくるからです。
やる気があるなら新しいことを始めてみるのもアリですが、「予想と違ったこと(予測誤差)」は普段の日々の中から探してみましょう。
ワーク:予測と違ったことを思い出す
例:
自分の予測:昼休みに10分でランチを済ませられると思った
実際:列が長くて20分かかった
その他の例:
- 思ったより会話が弾まなかった
- 予定がずれた
- 相手の反応が予想と違った
- 今日または今週、「予想と違ったこと」「うまくいかなかったこと」を1〜3つ思い出す・書き出す
- 小さなことでもいい:「コンビニで並んだ」「夜までに仕事が終わらなかった」など
- 面倒なら寝る前に3秒だけ考えるだけでもOK
もっと余裕があれば、あえて自分から小さな変化を起こしてみても良いです。
例:通勤路を変える/初対面の人に話しかける/新しいメニューを頼む etc.
重要なポイントは
- 実践ワークを完璧にこなすよりも、小さな一歩を一旦踏むことが重要
- 「特別な挑戦」を始めることじゃなくて、日々の中にある「小さな予測のズレ・誤差にまず気づくこと」
Step 2:物の見方・解釈の偏りを点検する
予測と結果を比べたあとに、「自分の解釈が偏っていないか?」を一度立ち止まって考えます。
なぜ点検が必要なのかというと、脳の予測モデルは「思い込み」「経験のバイアス」「感情」に強く影響されるからです。
自分の思い込み、バイアスなどが実は損に繋がる結果を生んでいるとしても、自分で気づくのが難しいという問題があります。また、自分では気づいていない極端な解釈が、不要な悩みを生み出していることもあります。その問題を自覚するためにも、自分で意識的に見方や解釈を点検するのが望ましいです。
今までと同じ見方・解釈のままで新しい行動を取るのは困難です。
物事を様々な角度で見るようにすることで、新しい見方・解釈を発見できるようになります。
例えば、吠える犬に恐怖心があった場合、すべて自分のせいとして解釈するのはちょっと極端です。犬の習性を理解した解釈・見方ができるようになれば、必要以上に怖がらなくていいという受け止め方ができるようになります。
見方・解釈の点検は、今までとは異なる受け止め方や対応をするためにも重要な手順です。
自問自答の例
- 結果を「全部自分のせい」「全部他人のせい」にしていないか?
- たまたまの出来事を「ずっとこうなる」と決めつけていないか?
- 今の気分や感情で大きく悪く/良く見積もっていないか?
- 他の人ならどう見るだろう?
- 逆の立場でシミュレーションすると?
- 感情で考えるとこうだけど、理性的に考えると?
客観的な物差しで点検する例
- 第三者視点:「友達なら何と言うだろう?専門家だったらどう分析する?優秀なあの人はなぜ困らない?(事情をよく知る人に相談してみる)」
- データを数える:「毎回こうなる」は本当?週に何回?
- データを調べる:悩みによっては、ウェブで公開されている調査結果・統計などを見て客観的に判断する
- 過去のパターンと比較:「前と同じ?結果は本当に同じだったか?同じならなぜ繰り返す?」と振り返る
- 仮説と検証:自分の解釈を仮説として書き、次に試してみる。人の仮説を探してみる(科学の手順を使うと客観性を少し取り入れられる)
コツ
- 書き出すと客観的に見やすい
- 面倒なら、問いの例を使って頭の中で見方を考え直してみるだけでもOK
- 正しい答えを出すより、「問いを立てる」「違う角度から捉え直す」ことが大事
Step 3 : ズレを修正するシミュレーションをしてみる
予測と現実のズレを振り返ったあとは、すぐに行動を変えるより先に「もし次に同じ状況になったら?」と頭の中で試してみましょう。
これは実際に行動を起こす前に、脳の中で予測モデルを一度アップデートしてみる練習です。
やり方の例
- 同じ状況を頭の中で軽く思い浮かべる
例:昼休みにお店が混んでいる場面 - 「じゃあ次はどうする?」を考える
例:もう少し早く出る/別のお店を探す/持参したお弁当を使う - その選択肢をとったときに「どうなるか?」を想像してみる
重要なポイント
- 紙に書いて整理してもいいし、頭の中で短くシミュレーションするだけでもOK
- 成功パターンだけでなく、「うまくいかなかったら次にどう動く?」も想像してみる
- 大事なのは「失敗を避ける」のではなく、「ズレを減らす/調整する」柔軟さを脳に覚えさせること
- 上手くシミュレーションできない場面は情報不足
Step 4:シミュレーションしたことを小さく試してみる
頭の中で「次はこうしてみよう」とシミュレーションしたら、実際にその中から一つ、小さな行動を選んで試してみます。
ここで大事なのは、「必ずうまくいく行動」を探すことではなく、予測と現実をまた突き合わせてみるための実験をしてみるという感覚です。
やり方の例
- 「並ぶから昼休みに10分で食べるのは難しいかも」と思ったなら、少し早めにお店に行ってみる
- 会話が続かなかった相手には、質問を一つ増やしてみる。相手のことを知っておく
- 「次も同じ状況になったら?」とシミュレーションで考えた選択肢を、実際に試してみる
ポイント
- 大きく変える必要はなく、「1分早く出る」「一言増やす」など小さな工夫で十分
- 成功・失敗を問わず、「何が起きたか」を観察するのが目的
- 行動を変えるのが難しい場合は、「予測の立て方」を変えてみるのもあり
例:「きっと混む」と最初から予測しておけば慌てずに済む
Step 5:変化を観察し、再度予測を更新する
実際にやってみて、「どうだったか?」を観察します。
- 良くても悪くても、「この修正で何が変わったか」を確認することが目的
- また、「得た情報を踏まえてどうするか」も考えられるとなお良い
- この繰り返しで行動するための情報が集まる。状況に適した予測を立てやすくなる
おわりに
自己を「動的モデル」として捉えたとき、自分の行動を変えるために重要となるのは新しい予測を立てるための情報収集ではないでしょうか。
今までの習慣は、今までの経験や情報収集の結果、ある結果になるのが分かりきっていて期待できるから、行動しやすいのだと思います。
それに対して、新しい行動は自分の経験にはない未知のことです。どんな結果を期待すればいいのか分からないから、何となくやめてしまうという無意識の心理があるのではないでしょうか。
知識を得て終わりにしないためにはどうすればいいのか、というのは、私自身が立てた問いであり、その答えは「型を用意すること」です。
新しい知識を実践するまで至らないのは、第一歩をどこに置くのか?とりあえず踏み出すための何かがないからではないかと思い、それなら型になるものがあればいいのではないかと考えました。
結局書いたらよくあるワークと化したような気がしないでもないのですが、科学的な知識を日常生活に落とし込む手助けになったら幸いです。
Note行きの予定だったけど、色々考えた結果没になったのは内緒だ